お国自慢 下石町の陶祖

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下石町の陶磁器産業の祖

           
 うじいえ   かまかぶ
加藤庄三郎氏家と窯株

 下石町裏山区桜ケ根に「加藤庄三郎氏家の墓」と「陶祖碑」「窯跡」があります。
下石村の窯株は八筋あったといわれていますが、ここの窯株はもともと定林寺村所有のもので、当時は窯株がなければ陶器を焼く事は出来ませんでした。
 江戸初期の元和二年、定林寺村の加藤庄三郎氏家という陶工が、下石村の林清兵衛吉重の娘と結婚するに際して、経営不振からその処分に困っていた定林寺の窯株八筋のうち一筋を残し七筋を持参し、下石村裏山桜ケ根四方谷に窯を築いて陶器を焼いたといわれています。その後、この山筋には多くの登り窯が築かれ、盛んに陶器が焼かれるようになりました(現在窯跡はほとんど残っていません)。
 定林寺村と下石村の関係については、定林寺の泉陶磁器工業協同組合に保管されている七通の取り交わし文書によって知ることが出来ます。
 下石村から定林寺村へ差し出された文書は、寛政五年十一月・天保十五年一月・嘉永五年十一月の三通がありますが、これらの文書が取り交わされた時点で、定林寺村の窯株八筋は、すべて下石村分の運用となっています。
 定林寺村の窯業が、窯株一筋をめぐって盛衰を繰り返してきたのに対し、下石村の窯業は、定林寺村の窯株八筋すべてを手中に収め、年々盛大に成っていったことがわかります。
 この氏家の持参した窯株により、下石の窯業は活気づき、登り窯の煙突が林立し、新しい陶土の発掘・調合などのたゆまぬ研究・開発によって、今までの雑器から磁器に近い良質な製品がどんどん焼かれるようになりました。
 現在の下石の陶磁器産業繁栄の基は、ひとえにこの庄三郎氏家の下石移住によると考えられ、氏家は下石の陶祖といわれています。


平成14年7月1日発行 広報とき 市史だより「ふるさと歴史ウォーク・26 下石町裏山区」掲載記事より〜

土岐市役所の許可を得て掲載しています。

現地の写真を掲載しました。右上は下石町陶祖加藤庄三郎氏家のお墓です。
下は、業者会による説明文。



陶祖のお墓に表示されている、下石陶磁器工業協同組合裏山業者会による説明文。
窯株の数に若干の違いが見られます。


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